セブ島への旅
行く前の自分の気持ちを例えていうなら、こみ上げる衝動を抑えられず、旅立ってしまった、Bashoさんの様な感じでした。
月日は百代の過客にして
行き交う年もまた旅人なり
船の上に生涯を浮かべ
馬の口とらへて老いを迎うる者は 日々旅にして旅を栖とす
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の 破屋にくもの古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、
白河の関越えんと、そぞろ神の物につけて心を狂はせ、道祖神の
招きにあひて取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒付け替へて、三里に灸すうる
より、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家、
表八句を庵の柱に掛けおく。
社会人になってから、ひたすら仕事に走り続けて15年。新たな転機を見つけて次の会社に移るまでの数日間、ふと日常の忙しさのあまり、忘れてしまっていた探究心が蘇り、そぞろ神にさそわれてしまい、国境を越えてCebu島を目指そうと、今じゃなきゃ出来ない事をしようと決心してしまいました。家こそ売り払いませんでしたが、周りの了解(うちの奥様、近所に住む義理のご両親、うちの子)とそれはそれは白河の関と同じくらいか知りませんが、大変な通過点でした。
行きたい思いをきちんと伝えて、皆さんにご納得頂き、思い立ったら吉日とばかりにさっさと行ってしました。